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稱名寺のあゆみ

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稱名寺は信濃最古の浄土真宗寺院の一つであり、開基は宇多天皇九代後裔の佐々木三郎盛綱である。盛綱は仁平元年(1151)近江国佐々木の庄に生まれ、十六歳で源頼朝に仕え、治承四年(1180)頼朝挙兵に加わり、藤戸の戦いで武功を挙げ左兵衛尉となる。のち、越後などの守護に任ぜられる。頼朝没後出家して西念と号し、上野磯部に住する。建仁元年(1201)越後の城資盛の反乱を幕命により鳥坂で平定する。
越後国府に配流された親鸞聖人に帰依し教佛の法名を賜る。承元三年(1209)聖人関東下向に隨行し、善光寺に参詣の折、この地に念佛の教えを伝導せよとの聖人の命を受け、善光寺西の腰村に一宇を建立する。これが稱名寺の起源である。のち、長谷村に移り、承久三年(1221)小市に移る。小市は平安時代以来交通の要地であり、ここを伝導の拠点とし、爾来先達・門信徒と共に法燈連綿として今日に及んでいる。
現本堂は康永三年(1343)に再建され、永禄十一年(1568)十月武田信玄の当山保護の禁制により、川中島合戦の戦火を免れ、善光寺大地震にも崩壊することなく六百五十余年の歳月を経ており、道場と本堂様式を兼ねた古式の建築として教団から注目されている。
平成元年(1989)五月庫裡改築・本堂大修復に着手し、三年後、聞法道場の伽藍として竣工した。時代の推移に即応して新たな寺門の教化に邁進することを願い、この縁起を建立する。

平成四年歳在壬申十一月

第二十五世 釋晃徹 識

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佐々木三郎盛綱の墓

年号 西暦  
仁平元年

1151

佐々木秀義の三男として近江国で盛綱生まれる。
寿永3年 1184

藤戸の戦いで盛綱武功を挙げる。

盛綱は越後へ流罪となった親鸞聖人の弟子となり法名教佛を賜る。

建暦2年

1212 親鸞聖人越後より関東へ向かう折、善光寺に参拝され、聖人よりこの地で伝導活動するよう命を受け、善光寺西の腰村に一宇を建立。
健保4年 1216 腰村から長谷村に移る。
建保6年 1218 3月12日、開基盛綱往生。
承久3年 1221 長谷村から現在の小市に移る。
貞和5年 1349 稱名寺本堂を再建。
永禄11年 1568 武田信玄より禁制の制札を下附され戦火を免れる。
明治3年 1870 庫裡を再建。
昭和45年 1970 第24世住職佐々木徹州、社会福祉法人小市保育園を設立。

平成2年

1990 庫裡を再建。
平成3年 1991 本堂修復。
平成18年 2006 本堂屋根修復。
令和元年 2019 稱名寺合同墓建立。
令和4年 2022 社会福祉法人小市保育園から社会福祉法人六花会小市こども園に変更。